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中学二年の夏の夜。


 幽霊が出るという噂が流れた。
 他愛もない、どこにでもある、いわゆる学校の怪談というやつである。

 彼女――友坂アリカはそのためにそこに居た。

 中学二年生、夏の夜。校舎と体育館を繋ぐ外通路。
 いっしょに来た友人は近くにいるが、こちらの様子には気付いていない。
 ふと見上げた視線の先で、浮かぶ月を背に、誰かが屋上に立っている。

 しばらく無言。

 全身全霊をもって、ようやくのこと視線を地上に戻すと彼女は言った。

「うわ、帰りたい」



 /


 事の起こりはこうである。
 アリカの友人である生徒会役員(そこで何をしているのかは知らない。訊ねたことがない)の後藤カオリと夏休みの宿題を片付けていたところ、指令が入った。カオリに、生徒会長からである。この生徒会長はイベントを仕切るのが得意なタイプで、事あるごとに生徒たちを楽しませようとする人物で。しかし結局、苦労をするのは周囲の生徒会役員とその他もろもろという類の人物だ。
 アリカはたいていの場合、楽しませてもらう側なのだが。今回は不運にもその場に居たせいで、その他もろもろに含まれてしまうことと相成ったのである。

「ど、どうしようアリカちゃん……。わたし、おばけは苦手なのにぃ!」
「涙目であたしに言われても」
 そんな具合に。
 彼女を慰めている間に、いっしょに調査することになってしまったのだった。

「調査って言ってもねぇ」
「う、噂になってるせいでね……。夏休みなのに夜に学校に忍び込んじゃう生徒がいるんだって」
「夏休みなのに噂って広がるものなの?」
「ネットとかで」
「ふぅん」
 世間はそういう世の中なのである。アリカは携帯の類を持っていないので、たまに忘れてしまうのだが。どうも周囲は自分の知らないところで、色々な情報を共有していたりするらしいのだ。
 よくもそんな面倒なことをするものだ。などと考えてしまうのがアリカだった。
「カオリもそういうの見るの?」
「み、見ないよぅ。だって怖いもん」
 そうか、怖いのか。と納得する。
 顔を見合わせていてもエグいのが女子である。それが顔も名前も見えない電脳世界ではきっと悪魔じみたやり取りが繰り広げられているに違いないのだ。この気の弱い友人なんてその文字を見ただけで卒倒してしまうような。メンタルの弱さではどっこいのアリカは身震いして、恐ろしい想像が具体的な像を結んでしまう前に振り払った。

「そりゃ怖いね」
「うん、怖いの」
 そのあとは、ふたり無言で。宿題も話も進むことはなかったのだった。



 /


 アリカが携帯電話の類を好まないのには理由がある。幾つかある。
 そのうちのひとつ、最大のものがこれ。――お家の都合というやつであった。
 ナントカというおエライ方に仕えた由緒正しい武術を受け継ぐなんとかかんとかでどうのこうのと、まあ平たく言って時代錯誤な家なのである。アリカはその家の末の妹なのだが、ご先祖さまが誰で、なにを伝えているのかも知らない。聞いたこともないし、誰も教えようとはしなかった。なんかスゴイのだろうということだけは知っていて、まあそれで不自由もなく、不満も不思議もなく、ただそれで十分なのであった。
 祖父と祖母は礼儀に厳しく。父と母はやっぱりイロイロ厳しく。兄と姉はなにやら習い事やら大変そう。
 でも、その家族は自慢にしていいのだろうと理解している。
 どう自慢したものかもわからないのだが、まあともかくそう思っているのだ。だから家族が必要ないというのだから、アリカは必要ないと素直に考えている。
 それはそれとして。
 そんな家族のなかでも話しやすいのはやっぱり年齢の近い兄と姉なので。相談などをしようとなると、このふたりに聞くのがアリカの定番であった。同学年の友人たちが携帯で物事を調べるのと同じくらい。いつものことなのである。

「兄さんと姉さんに聞きたいことがあるんだけど」
「お、なんだなんだ? 面白いことか?」
「あら、なにかしら」
「幽霊っているの?」
 訊いてみると、自分でも頭の悪い質問だというのが改めて理解できた。
 なんてこと。インターネットで調べるだけならこんな風に恥をかくこともないのだろうか。
 やっぱり欲しいかもしれない携帯電話とか。
 まあ、それでもこの兄姉からどんな答えが返ってくるのかは気になった。知らない誰かの答えなんかよりずっと。
「……面白いこと聞くな、珍しい」
 最初に反応したのは兄であった。
 言いながら、子供にサンタの実在について真相を明かしていいのかどうなのか。みたいな微妙な顔である。
「う〜ん。急にそんなことを聞くなんてなにかあったのかしら?」
 次は姉である。その瞳はこちらがどこまで本気なのかを探る光があった。
 どちらも共通しているのは、アリカへの気遣い。それでわかった。なんとなくではあったが。だいたいのことが。

「べつに。ちょっと聞いてみたかったの」
 なんでもないと笑って、アリカは自室へ引き上げることにした。


 幽霊とは――



 /


「幽霊ってなに?」
 翌日は夏休み唯一の登校日であった。
 なので朝の通学路でもアリカは訊くことにした。
 相手は幼馴染であるところの剣持コウスケだ。夏休みに入ってから会うのは久しぶり――ではない。ご近所付き合いやアリカの家が開いている道場に彼が通っていることもあって、夏休み前とそう変わらない頻度で顔を合わせている。
 閑話休題。
 兄姉の反応から感覚的には理解したものの、一晩では言語化までは至らなかった。そのせいでひどく寝不足で、睨むような眼差し。級友でも視線を逸らすような鋭さだったが、長年の付き合いからかコウスケはぼんやりしたまま答えた。

「幽霊って噂になってる例のアレ?」
 珍しい、という色がありありと伺えた。
「カオリが調べることになった」
 だから返答にも、はやく答えろという空気を滲ませる。
「いや、ぼくも聞いたことがあるってだけで見てないし」
 ――知らないよ、と顔が歪んだ。
「じゃあ、見て」
 ――いますぐ、と眉根を寄せる。
「なんで」
 ぼくが。
「はやく」
 他にいない。
「…………」
 めんどい。
「………」
 ぶつよ?
「……」


 幼馴染ゆえの気軽さで、言葉は加速度的に省略されていき、最後は無言の攻防。
 勝者は言うまでもなく。
 コウスケは嘆息すると携帯電話を懐から取り出し、操り始めた。

 それを眺めながら、思考は浮遊する。それこそ幽霊のように。

 幽霊が出るには死者が存在しなければならない。
 そして少なくとも何かしらの未練があり、生者にそれを要求する。
 要求され、しかしそれを満たすことができなければ生者は死ぬか、それともそれに近しい状態になる。
 あるいは枯れ尾花か。

「怪談ってどうしてあるの?」
「さあ。……あ、変なリンク踏んじゃった。ええと、どの辺だったかなぁ。……まあ、怖い話とか好きな人だって世の中にはいるわけだし。あれ?」
「どんくさい。あと答えになってない」
「うるさいな。どんくさいどころか機械触れないくせに」
「買ってもらえないだけだもん」
「欲しいと思ったこともないくせに、よく言うよ」

 無駄話をしていると、怪談はすぐに見つかった。

「つまり。いじめられた男子生徒の幽霊なの?」
「そうみたいだよ。十年前って書いてあるね、」
 随分とキリのいいことで。と目で会話。
「特に恨みがあって出没するわけじゃないみたいだ」
「そうなの?」
「なんか自殺してるらしい」
「……自殺した生徒の幽霊? それとも自殺をする幽霊?」
「自殺をする方。さすがに一晩に一回だけらしいけど」
 さすがになのか。
「なにそれ」
「自殺したことをわかってないんじゃないかって」
 書いてあるらしい。
 そういう場合もあるのか、と感心する。
「悪趣味な話」
「うん?」
 だって。
「そういう書き方をされてるってことは、何度も確認したんじゃないの? それで調べたんでしょ?」
 どこの誰だか知らないが。
 怪談というものではなく、それを弄ぶ誰かを考える。そうすると怖さよりも、気持ちの悪い塊……嫌悪感が際立ってくる。ある種の逃避なのはわかっているが、夜道の影さえ怖いので仕方がない。そうでもなければ怪談など真面目に考えられはしない。
 しかし幼馴染は同意でも反意でもなく、疑問を浮かべていた。
「さあ?」
「さあって。じゃあ、どうしてそういう話になったの」
「いや、わからないけど。でも噂ってそういうものじゃないか。わざわざ事の真偽を確かめようなんて物好きははじめて見るし」
「は?」
「は、って。調べるんだろ? 後藤さんと」
「……」
「え、なんで黙るの。違った?」
 違わない。
 それとべつに忘れてたわけではないのだ。
「いや、その反応は忘れてたんじゃぶひぇ!?」
 ぶった。
「違うの」
「なにが。てか殴らないでよ」
「もう調べてる」
「ひょっとして今、この状況?」
「そう、なう調べてる」
「なうの使い方違うし、それもう流行ってないからねぐぶぅ!!?」
「なう調べてる」
「……調べたのぼくじゃないか。ていうかこんなの調べたうちに入らないし。あと痛いから本当にグーはやめよう女の子」
 すべてコウスケが弱いのがいけないのだ。
「弱者に権利はないってお爺ちゃんが言ってた」
「あの爺さんの言葉を真に受けないでよ。この間なんて先祖代々から伝わるっていう刀で鼻毛切ってたよ。失敗して鼻血出してたし」
「お爺ちゃんの悪口言わないで!」
「いや、本当だよ!?」
「やめて! それにお父さんも言ってたもの、敗者は人にあらずって!! 負け犬の遠吠えなんて聞きたくない!」
「もうわけわかんないし、話も脱線してるから!」

 逃げ出そうと重心を動かした幼馴染の隙を見逃さず、あたしはすかさず間合いを詰めると足を踏み抜き、抜き手を放つのだった。



 /


 そもそも、あたしは間違っていたのだ。
「うん、暴力はいけないよね」
 怪談の調査という言葉に惑わされていた。
「聞いてないし」
「け、剣持くん。静かにしてたほうが……。ってああ、剣持くんの右腕の間接が! 間接が!!」

 そう、問題は騒いでいる生徒であり夜間の学校への侵入でありインターネットが悪いのだ。
「禍根は根こそぎ断てってお母さんが言ってた」
「そ、そうなんだ。あの、それより剣持くんの肩がねじ上がってるよ……?」
「この場合、腕力でどうにかできるのは生徒」
「現在進行形でどうにかしちゃってるもんね! やめてあげて!」

 放課後の教室。夕暮れに生徒の声。赤く霞む青春の色。
 背を伸ばす建物の影は際限もなく、夜に溶け込む時を待っている。

 登校日といって、やることは特になく。午前中には帰ることができたのだが、噂を訊いたり生徒会長と直接話しているとお昼はとっくに回ってしまっていた。その後、部活動に励む生徒たちのために開いていた学食の購買を食べ、だらだらとしているうちにこのような時間帯だった。

「と、いうことで。三人であれこれ頭を使わずに済ませよう」
「なんでかぼくまで巻き込まれてるし」
「ご、ごめんね。剣持くん」

 ふわり、と花の香りを振りまきながら頭を下げると。

「後藤さんはいいんだよ」
「カオリはいいの」
 ふたり、同時に。

 それを見て少しだけ寂しそうなカオリ。表情はすぐに消えてしまったが。
 アリカは見逃さなかったが、しかしそれを深く考えるとややこしくなると本能で察知しスルー。
 言語化できない何か。しかしそこに確かにある。これも幽霊みたいなもの。
 けれど今は枯れ尾花を考えるときではないのだ。

「たいていの物事は最終的に暴力で解決するの」
「終末的すぎる」
「つまり不法侵入を繰り返すような不届きな人物を拳で説得してこの話は終わりだから」
「まあ、生徒はそれでどうにかしたとして。幽霊のほうは?」
「終わりだから」

 筋を痛めた右肩をさするコウスケは、まだ何か言いたそうな顔であったがアリカは話を打ち切り。

「今夜には勝負を決める」

 そういうことにした。



 /


「幽霊がなにかってのはどうでもいい、その意見は賛成だよネ。わかったところで怖いものが怖くなくなるわけでもなし、それで何かが解決するわけでもなし。居ても居なくても心底どうでもいいよネ、幽霊くんには悪いけどサ」

 今夜、学校に張り込みをすると伝えると生徒会長はそう言った。

「ま、頼んだアタシとしては夜中に忍び込む生徒さえ消えてくれればネ? それでいいのよサ。だから噂の内容をちょこっとと変えて、幽霊くんが夕方とか放課後に出てくる感じにしてくれりゃーいいかナって。そう思ってたんだけどねェ」

 気だるい様子で長い髪をかき上げ。

「それだと時間が掛かりすぎる? ま、そうだねィ。なんにせよ、警察沙汰にさえならなけりゃいいヨ。許す許す、許しちゃう。あ、そうそう怪我もしないようにネ。病院沙汰はもっとマズイからサ。ついでに校舎の鍵と屋上の鍵も渡しとくよン」

 人当たりの良い笑みを浮かべると、旧式のノートパソコンを叩きはじめる。

「うン、いま学長にもメールを送っておいたから。これでたぶん大丈夫。しかし後藤ちゃんもイイ友達を持ってるネ、うらやましいなぁ。ふたりは格闘技とかできるんだって? え、友坂ちゃんは見よう見真似だけ? なのに剣持くんより強いン? そりゃ、すっげぇネ」

 HAHAHA、と海外のひとのように笑う。
 放っておくといつまでも喋っていそうだったので、適当なところで話を打ち切り、いったん家に帰ることにした。



 /


 夏の夜。午後の十時、三人は集まった。
 幽霊が出るという噂、いわゆる学校の怪談が広まったからだ。

 内容それ自体はどこにでもある、他愛のない怖い話である。
 三人のうち、アリカもカオリもその手の話は苦手であったし、コウスケはそもそも興味がない。
 だから目的は真相の解明、ではなく。肝試しにやってくる生徒の指導のために、三人は集まったのだ。

 中学二年生、夏の夜。校舎と体育館を繋ぐ外通路。
 イベントとして楽しむならば、格好のシチュエーションかもしれない。
 しかし、三人の表情はむしろ正反対であった。


「それじゃあ、ぼくは一応校舎をぐるっと見てくるから。ふたりはこの辺で待っててね」

 ライトで足元を照らしながら、コウスケが言う。
 はやく終わらないかな、という感情がありありと浮かんでいた。

「ここからなら誰かが校舎に入るところは見渡せるだろうし、裏手の職員用の出入り口は厳重だから見る必要もないからね」

 すぐ戻るから、と言って彼は歩いていった。
 その後姿を見送って、完全に見失うと途端に心細くなる。
 いや、単純に人数が減ったという意味で。

「うぅ、はやく不良でもなんでも来ればいいのに」
「わ、わたしは不良さんも嫌だなぁ」
「でもアレと違って殴れるし」
「アレ?」
「いや、なんかその単語を出すのも嫌で」
「それはちょっとわかるかも」

 ふたりでくすくすと笑う。
 少しだけ心が軽くなった。

「剣持くんはまだかな?」
「そりゃ、さっき行ったばっかりだし」
 戻ってくるまであと五分以上はあるだろう。
「う、うん。そうだよね」

 不安なのかと思ったが、違う。
 なにかを言いたそうな雰囲気が伝わる。
 きっと、カオリも伝わっていることがわかっている。

「……」
「……」

 ああ、なんだろう。
 嫌な予感がした。
 忘れたはずの枯れ尾花が、夜の闇のなかで揺れている。

「ご、ごめんね。ちょっと待って」

 カオリは少しだけ距離を取って、後ろを向くと深呼吸を始めた。
 先の展開を考えたくない、と脳が拒否して動かない。
 しかし座して死を待つわけにもいかないのだ。

 間を外すために、こちらも半歩だけ後退すると天を仰いだ。
 意味もなく、視線で月の位置を探る。

 すると視界の右隅、星々の中心に浮かぶ月。

「……?」

 奇妙に欠けているだけかと思った。
 けれど違った。
 顔が強張る。

 気配を探るとアリカはまだ深呼吸をしているようだ。こちらには気付かない。気付いてもあんまり意味なさそうだけど。
 コウスケはまだ戻らない。散歩にでも行くような速度だったので、はやくてあと三分ほどか。どんくさい。のろま。あほ。
 不良もやって来ない。そもそもあいつら気紛れだし、そういや今日来なかったらこんなこと毎晩なんて冗談じゃない。やっぱり頭は使うべきだった。というか生徒会長はたぶん許可出すとき気付いていてそのこと言わなかったのではないだろうか。以前から思っていたが性格悪い。もうやだ。

 見上げた視線の先で、浮かぶ月を背に、誰かが屋上に立っている。

 全身全霊をもって、ようやくのこと視線を地上に戻すと彼女は言った。

「うわ、帰りたい」




 /


「なんでぼくはこんなことをしてるんだろうな」

 小声でひとりごちて、コウスケは嘆息した。
 彼女といっしょに居る理由なんて、とっくの昔から決まっていたのだから。
 誰かに訊ねるまでもない。だがひとりだから浮かぶ言の葉もある。

 彼女は怖い話の類は苦手だ。
 というか、殴れないものが苦手だ。
 あの家の中でもっとも武から遠いはずなのに、たぶん一番喧嘩っ早い。
 それは女の子としてどうなんだろうと、だいぶ前から思っていたのだが。

「改善の兆しはないし」

 周囲に積極的に矯正しようという人間がいないのも大きい。
 祖父母も両親も兄姉もだだ甘であるし、コウスケもなんだかんだでありのままでいいかと思ってしまっている。

「でもまあ、やっぱり暴力には関わらないで欲しいんだよね」
「あ?」

 背後から普通に声をかけられて、驚く暇も無くしたのか不良(っぽい)生徒は口をあけて振り返った。
 校舎裏の緊急出入り口である。
 どこかの馬鹿が開け方を調べて、馬鹿たちが出入りできるようになっていると、コウスケは生徒会長から聞いていた。
 秋までには改修するらしいが、それまでどうにもならないそうだ。あるいはどうにかできるにしても、金か労力を惜しんでいるということだろう。

「どうでもいいか。それより、こんな時間になにやってるの?」
「え、ああ? おまえ、誰だよ」
「おいなんだ、どうした?」
「まあ、それも知ってるんだけどね」

 人数は五人。最後尾とその前の奴だけが気付いている。
 というか、そもそも前を行く三人が校舎に入ってしまうのを見てから声をかけに出たのだから当然ではあった。

「急いでるから、問答無用で」

 足を踏み込み、腕を振り抜く。
 その動作だけで充分だった。
 わき腹に拳が突き刺さる感触が脳に届くまでには、すでに次の標的を見据えて駆け抜けている。

 だから思考は別のことに飛ぶ。
 生徒会長は夜の校舎にたびたび集まる生徒たちのことを把握していた。名前や住所、その生活態度まで。
 だから当然、はじめは本当に噂の範囲と内容を確かめようとしていただけなのだ。女の子ふたりに荒事を任せたりしようとするはずもない。
 解決までさせる必要はなかったし、そんなつもりは一切無かった。らしい。

 不確かなのは、どうにも本人が発する胡散臭い雰囲気のせいだろう。
 そもそもこっそりコウスケにだけ情報を送ってくる理由がわからない。

 三人で生徒会室に行ったときにもなにも言わなかったのはなぜか。
 そもそもどうしてコウスケのメールアドレスを知っていたのか。
 コウスケは後藤カオリにも連絡先は教えていない。接点もないのに、どうして。

「まあ、考えるのは後にしよう」

 倒れてうめいているふたりを残して、コウスケはあとの三人を追って駆け出した。



 /


「……ごめんね」
「え?」
「そうだよね、はやく帰りたいよね。わたしが無理に頼んだせいでこんな……」

 いつの間にか振り返っていたカオリが、悲しげに俯いている。

「あ、ちがうちがう。そうじゃなくて」
「わたしもこんな風になるなんて思ってなくって」

 しまった。勘違いさせてしまったか。と、眉間に皺が寄る。
 というか、それどころではない。
 視界から外してしまったが、居ないはずのアレがあたしたちの頭上には居るのだ。

「本当はね、ふたりでいっしょに色々調べたりして」

 いや、居るはずがないのだからひょっとしたらもう一度確認すれば居ないかもしれない。
 むしろ居ない。うん、居ない。居ないのだ。

 視線を上げる。

(やっぱり居るぅー! あ、落ちる!! いや、踏みとどまった!?)

 決心がつかないのか、アレの動きはおっかなびっくりだ。

「それで夏休みもいっしょに過ごしたりできたらなって。でも、アリカちゃんが思ったよりはやく……ってべつにそれに文句があるとかじゃなくてあのね?」
(あ、うしろ向いた。え、戻る? 戻るの? やっぱりやめるの?)
「ごめんなさい、わけわかんないよね。自分でも変だってわかってるの。でも、こんなに苦しいのはもう嫌だったから……」
(ってまた振り向いたー! だめだめ、そんなよしやるぞ、みたいな動きしちゃだめ! お願い、思いとどまって!!)
「会長に相談してみたの。そうしたら最近はそういう人も多いって言ってくれてね。その、女の子同士でっていうの? だから言うって決めたの!」

 幽霊なんだからもう死んでいるなんて関係ない。
 人型のものが目の前で高所から落ちる様なんて、見るだけでも嫌だ。
 そのまま落ちて消えるならともかく、いったいどこまで再現されてしまうかも問題である。

「あのね、アリカちゃん。わたし、」

 もしも死体になったところまで残ったりしたらトラウマどころではない。
 冗談じゃなかった。

「やめてっ!」

 叫んだ。
 全力で。

 なにごとかを伝えようとしている後藤カオリの目の前で。



 /


 残った三人に追いつくのはすぐだった。
 ついて来ない二人を探して戻ってきていたからだ。
 それからひとりを残して倒してしまうと、そいつは恥も外聞もなく逃げ出した。

 全力の逃走であった。

 追いかけるうちに、不良は階段を駆け上がっていく。

「ああもう、こういう持久力の必要な駆けっこは好きじゃないのに!」

 愚痴ったところでどうなるものでもない。
 こうなったら屋上まで追い込むか、全力で追いつく以外にはないのだから。
 速度を維持しつつじりじりと追い縋る。

(屋上の扉には鍵がかかっているはず。そこで追いつく)

 あと少し。
 そこに来て。

「やめてっ!」

 声が聞こえた。
 遠く、微かにだったが。
 静まり返った夜の校舎に、高い声はよく通った。

 速度を上げる。
 二段飛ばしから三段飛ばしに。
 息が上がっている不良を追い抜き、屋上の扉が見えてくる。

(とにかく状況を確認するっ)

 上からなら見渡せるはずだった。
 たいていの状況ならひとりでなんとでも出来るだろう。

(後藤さんに何かあったのか……?)

 扉に手をかける。
 が、やはり鍵がかかったままだ。

(こんな状況を想定してたわけでもないだろうけど)

 渡されていた屋上への鍵で扉を開く。
 開け放った勢いで大きな音が響くが、気にしない。
 柵に向かって足を踏み出したところで目が合った。

(……目が合った?)

 男子生徒が驚いた表情でこちらを見ている。

「…………」
「…………」

 柵の向こうとこちら、言葉もなく。
 どう反応したものかと固まっていると、なにごとか下のほうからアリカたちの声がした。
 なにか揉めているような様子だが、やはり危険な様子ではないようだった。
 思わず嘆息して、頭をかくと口を開いた。

「ええと、とりあえずこっち来ない?」



 /


 話を聞くと、どうやら自殺しようとしていたらしい。

「紛らわしい」
 と、アリカ。
 なにがあったのか、不機嫌というか困惑している様子。

「え、な、なにがですか?」
「いや、噂があってね」

 飛び降りようとしていた男子生徒は、おどおどしきりだったのでコウスケが説明する。
 後藤さんはなにがあったのか、すでに帰ってしまったらしい。
 時間が時間だったので送って行こうと思っていたのだが。
 ともあれ、学校からの帰り道である。ちなみに不良たちは既に撤退していた。まあ、どうでもいいけど。

「ああ、そんな噂が流行ってるんですねぇ」
「君もそういうのは見ない人なの?」
「見れないですよぉ。それに僕の悪口とか見たら死にたくなりますし」

 いや、すでに死のうとしてたみたいだけど。

「なんにせよ止められて良かったけど……」
「あとちょっとだったんですけどねぇ」

 そんなに死にたかったのか。

「女の子の悲鳴にびっくりして怖くなっちゃいまして」
「やったねアリカ。ひとの命を救ったみたいだよ」
「うるさい。あたしに話しかけないで」

 思考に没頭しているのか、こちらには見向きもしない。

「もともと優柔不断な性格なので……。昼間だったら誰かに止められてしまいそうで、あんな時間を選んだんです」
「そうだったのか」

 なんだか流れで彼の身の上話を聞くことに。

「いじめというほどのものじゃなかったんです、はじめのうちは。なんとなくからかわれて、なんとなく嫌がって。いつの間にかエスカレートしていって」

 いじめる側は慣れてしまって、少しずつ過激になっていく。
 いじめられる側は慣れるわけもなく、どこかで許容量がいっぱいになる。

 行き着く先は自殺であり、幽霊であり、怪談である。

「どこかで止めてほしかったんです。何であっても、誰でもいいから」
「それまで続けるつもりだったの?」
「そうですね。たぶん」

 ――もう、よくわかりませんけど。

 過ぎてしまえばわからなくなることなんて、いくらでもある。

「ありがとうございました。僕はこの辺で」
「……そっか。まあ、ぼくはなにも出来なかったけど。それじゃ」
「いいえ、君にも感謝しています。そちらの彼女にも」

 そう言って、微かに笑うと彼は消えた。
 文字通り、煙のように。

「うん。まあ、そういうこともあるよね」
「なにしてるの? それにさっきの紛らわしいのは?」
「……もう帰ったよ。アリカにもよろしくってさ」
「ふぅん」

 興味なさげに、それよりも今は重大な問題があるといった様子で彼女はまた歩き出した。
 少し遅れていたコウスケは、その背中を追いかける。

 過ぎてしまえばわからなくなることなんて、いくらでもある。
 彼女のなかには幽霊も怪談も、もう頭に残ってはいないだろう。

「もうちょっとゆっくり歩かない?」
「どんくさい。あたしは先行くから」
「夜道も平気になったんだ」
「……思い出させないで」

 小動物みたいに周囲を警戒しはじめる。

「さっきから何を悩んでるの? 後藤さんとなにかあったとか?」
「……枯れ尾花かと思ったら、中から蛇がでてきた。しかも気付かないうちにその蛇踏んでた」
「なんか色々混ざってるよね、それ。後半は意味わかんないし」
「それくらい複雑な状況」
「そうなんだ」
「そうなの」

 いろいろあって、色々なことを彼女なりに考えているようだが。
 彼女の解決策はだいたい決まっている。

「これはもう当たって砕けるしかない」
「当たればいいけどね」

 アリカは殴れないものとの相性がすこぶる悪いのだから。

「そういえばさっき夜道もって言った」
「うん?」
「他になにかあった?」
「……んー、幽霊とか」
「それはいなかった」

 やはりそういうことになっていた。
 まあ、そういうことにしておこうと思う。



 /


 相変わらず噂は流れていたけれど、それ以来、幽霊の目撃談は出ていない。






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